招き猫

ゆうじろうのくわしい自己紹介

0歳──
二軒長屋の隣に住む親戚が営むヴァイオリン教室のレッスンが丸聞こえの環境で、生の弦楽器の音に包まれながら育てていただきました。
(ボクがティーンエイジャーの時はツィゴイネルワイゼンにマーシャル系ギターで応戦していました)
12歳──
大阪市立長池小学校卒業
13歳──
大阪市立昭和中学校中退(今でいう不登校です)。
大阪市立貝塚養護学校転入(寄宿舎制)。
怖い先輩にフォークギターを、そして、やさしくてステキな寮母さんに「禁じられた遊び」を教わりました。
ここで、寮母の大藤栄美子、長岡千代子先生たちに、ハートの大切さを深く教わり、救われました。
15歳──
地元の担任である永安先生、幼なじみで親友の中嶋氏などのおかげで、大阪市立昭和中学校復帰・卒業。
中卒後、鉄工所、ティッシュ配り、町名版プレート張り、冷凍倉庫員、ミスド、ジュエリーの制作補助など、さまざまな仕事に明け暮れました。
米国テキサス州オースティンのミュージシャンであるスティーヴィー・レイ・ヴォーン、エリック・ジョンソンなどのギタープレイにはまっていた時期でもあります。
21歳──
不真面目な勤労学生ながら、なんとか大阪市立第二工芸高校デザイン科卒業。
22歳──
担任かつ現代美術作家の森本兼司氏に多大な影響を受け、そのまま、氏の下で働きはじめます。
この時期、かさねてグラフィック・デザインの大先輩「綿屋デザインファクトリー」の和田隆博氏の下でDTPデザインを学ばせていただきました。
大阪市立第二工芸高校の自習教員を4年半勤めさせていただき、その間、デザイン科、生活指導課で、多くの先輩先生方と学生たちに育てていただきました。個人的に教育への関心が深まりました。
その価値観を巧みに顕した、市民科学者である高木仁三郎氏の言葉を引用させていただきます:
「私が組織したいのは、なにより、人びと(特に若い人びと)の内面のもっとも美しい領域をひきだし、持続可能な地球の将来へ向けて人びとの関心を掘り起こし、そして、それを人びとが抱きうる現実の希望にしていくことである」『市民科学ブックス──人間の顔をした科学(七つ森書簡)』より
24歳──
英語科教員免許取得のため、社会人入試で京都精華大学人文学部人文学科に入学。
ここで自分の人生観を決定づけるメンター、ジョン・アイナーセン(オルタナティブ・メディア「京都ジャーナル」設立者)に出会えました。
26歳──
指導教官辻節子氏の導きや、いまでも頭が上がらない、職場上司の方々によるファンドなどによって、オルタナティブ・メディアとNPO事業を学ぶための渡米が実現。オハイオ州アンティオーク大学と、ワシントン州シアトル・ベインブリッジ島のオルタナティブ・メディアを発信するNPO「Positive Futures Network」で研鑽を積ませていただきました。この頃、仲間と作ったバンド「オー! ファンタスティコ!」にも精を出します。
27歳──
同大学卒業後、オルタナティブなメディア発信に没頭します。さまざまなNPOなど、社会性の高い事業にデザイン/情報設計面で関わらせていただきました。
環境ジャーナリストであるアイリーン・美緒子・スミス氏たちのアクティヴィズム「社会公平のなんたるか」にすっかり魅せられ、環境NGOグリーン・アクションに参画します。
同時期、京都造形大学にて、その道の権威である鈴木みどり氏や恩師レベッカ・ジェニスン氏と「メディア・リテラシー論」の授業を非常勤講師として担当させていただきました。
29歳──
フリーランスでエディトリアル・デザインをがんばりましたが、やりすぎで体調を崩しました。
親友のMAR氏にフランクリン・コヴィーの「七つの習慣」や、GLA高橋佳子氏のトータルライフ人間学を紹介していただき、自己啓発の分野にはまります。
31歳──
京都マクロビオティックの松田敏彦氏に、桜沢如一氏、久司道夫氏の活動を知らされ感化。向こう見ずにも勢い余って、マサチューセッツ州のクシ・インスティテュートにも押しかけます。
32歳──
社会人になっていつも自問してきたこと──もし時間と資源が無限にあるとしたら、何をしてみたいだろうか? いろいろな理由によってやめてしまったが、本当はすべきだと感じているものはあるだろうか。あるとすればそれは何だろうか?──の答えは、常にギターでした。そして人生は、待ったなしで、高速に過ぎていきます。その限りある人生の中で「良」に追われ、「最良」を黙殺していては、死ぬ時にきっと後悔するだろうと思いました。どれだけ出遅れていようとも、自分の人生にとって最良であると感じることを実行しようと決意した時、ギター音楽の神髄を伝える師である藤井敬吾氏に出会うことができました。
33歳──
あるきっかけで、気づかせていただいた、自分の心に巣くっている「怒り」を溶かすためにヴィパッサナー瞑想法を学ばせていただきました。気づかせて友人たちへ、ありがとう。
34歳──
親友のアダムさんとギターデュオを結成し、師の教え「音楽をふくらませていく」の具現化に向けて活動を開始しました。
色んな所に頭をぶつけながら、ゆうじろうの旅はつづきます……

二十歳のころ、進路について考えていました。好きな音楽を続けて磨いていくかどうか悩みました。しかし、ボクが魅せられた表現者(U2のボノ、岡本太郎、パブロ・ピカソ、清水精一、その他大勢)はおしなべて、社会へのコミットメントがある人びとでした。そこで、まずは社会を学ぼうと決意し、公務員、営利企業、非営利組織、教育機関などに実際に身をおき、自分の感受性を高めていく努力に励みました。まだまだ、その学びは道半ばですが、人生の午後にさしかかる今(34歳です)、本来の願いであった「音楽表現」、そして、先に高木仁三郎先生の言葉で紹介させていただいた「人びとへのエンパワーメント活動」を融合させていく取り組みを始めています。

どの時代の自分を振り返っても、すべてはまわりの人びとのおかげで生かされてきたことに気づきます。ここに紹介していない数多くの人びとにも深く感謝しています。今のボクがあるのは、すべて、こういった人びとのおかげです。

まだまだ、色んな所に頭をぶつけながらですが、この世に受けた自分の役割を追求していきたいと考えていますので、これからもますます、みなさまのご助言が必要です。どうぞ、今後ともボクを指導してください。たたいてください。よろしくお願いいたします。

最後にボクを作ってくれた家族に感謝します。

そして、ボクの好きなミッションステートメントを紹介させていただき終わりにします。

お読みいただき、感謝いたします。

34歳のゆうじろうより

ゆうじろうの好きなミッションステートメント:
私は、私が登ろうとしている山は他人から見れば丘に過ぎないことを知っており、その事実を受け入れます。